『五十年戦争について』
イヴァリース(畏国)とオルダリーア(鴎国)の間で約50年間にわたって繰り広げられた戦乱を『五十年戦争』と呼んでいる。
五十年戦争の起こりは、鴎国国王ディワンヌV世が世継ぎを残さずに亡くなったことに始まる。
王位はV世の従弟にあたるヴァロアY世が継ぐがV世の叔父にあたる畏国国王デナムンダU世がそれに不満を持ち宣戦を布告した。
これは口実に過ぎず、真の狙いは国境に面した鴎国領土ゼラモニアへの侵略であった。
そもそもゼラモニアは独立国家であったが一世紀ほど前に鴎国の侵略によって併合されたという歴史を持っている。
畏国は鴎国の弱体化のために援助していたが、結果的には失敗。
しかし、ゼラモニアの貴族や諸都市らが鴎国支配に不満を持っており、再度、畏国に介入を求めたのが真相であった。
緒戦に勝利した畏国軍はそのまま鴎国の首都ブラへ進軍するが、その途中、デナムンダU世が病に倒れそのまま帰らぬ人になってしまうという事件が発生。
わずかな畏国側の混乱は鴎国軍に態勢を立て直す絶好の機会を与え、ヴァロアY世は畏国軍をゼラモニアまで追い返すことに成功した。
その後、約2年に渡り膠着状態が続いたが、その均衡を破ったのはロマンダ軍の侵攻であった。
ロマンダ(呂国)はラーナー海峡を挟んで畏国の背後に位置する強大な軍事国家で、血縁関係のあったヴァロアY世の依頼に応じて畏国へ進軍したのである。
しかし、デナムンダU世の跡を継いだデナムンダW世は勇猛果敢な戦士であり、自ら騎士団を率いて呂国、鴎国の両軍を相手に健闘した。
また、呂国で黒死病が大流行したこともありわずか3年で呂国軍は撤退することになる。
事態が急変したのは、やはりデナムンダW世の病死であった(これについては暗殺ともいわれている)。
後を継いだオムドリアV世はおよそ国王に不向きな人柄で、国政を重臣や王妃に任せる有り様であった。
そのため、ゼラモニアに駐留する畏国軍を一掃し、畏国へ進軍するヴァロアY世の後を継いだラナード王子を止める力はすでになかったのである。
ゼルテニアへの進入を許した畏国は(北天騎士団や南天騎士団の奮闘があったものの)、和平への道を模索し始める。
結局、両国はこれ以上の争いは無益なものと判断し、残された力を内政に振り分けるために和平協定を結ぶことになった。
対等とはいえ、実際は畏国側の降伏であり、事実上の敗北であった。
この後、畏国の経済は近隣諸国に対する戦争借款(しゃっかん)の返済や勝利国に対する賠償金の支払に追われ破産寸前となった。
そのため帰還してきた職業軍人たちの働きに対する報奨金などなく、それどころか騎士団ごと解雇するという事態を発生させることになる。
その結果、大量の失業者を抱える畏国には、王家や貴族に対する不満と不信感という空気が漂うことになった。 |